Shimesumeshiの日記

いろいろなことをつたえたい。

【実体験】私の不登校経験談

不登校の経験①


お久しぶりです、しめすです。

前回からかなり時間が空いてしまいましたが、またこうして戻ってくることが出来て良かったと思っています。

このブログを描き始めた時は意気込んで絶対続けるぞ!と思っていたのですが頻繁に書くことは中々できませんでした。

ちなみに、最近は何もやる気が起きずボケ〜っとして一日を過ごすことが多いです。

前置きが長くなりましたが、今回お話したいのは私が高校生の頃のお話です。

以前、高校生の時の部活の体験を書きましたがその後のお話になります。
(部活を辞めたのは高校1年の夏です)

部活を辞めるまでのお話はこちらからどうぞ!
👇🏻👇🏻👇🏻
耐えて耐えて、我慢することを忍耐力といえるのか(+ウソみたいな本当の話) - Shimesumeshiの日記




部活をやめた私は熱中できる対象を失ったのですが、何か頑張っていなければいけない気がして勉強を頑張ろうとしました。

私は勉強が得意では無く誰かに手取り足取り教えて貰わないと自分でやろうとしないので、とりあえず近くの塾の夏期講習を受けに行くことにしました。


よし!ここから心機一転、頑張るぞ!という気持ちで望みました。
ふと周りを見るとお友達同士で来ている子が目に着きました。私は1人で参加していたので少し寂しくもありましたが目的を持っていたのでそれほど落ち込まずに夏期講習を終えることが出来ました。

全ての夏期講習を終えた後、そのまま通い続けようとも思いましたが塾という場所がやっぱり苦手だったので、契約を勧められましたがお断りしました...
そうこうしている間に夏休みが終わり、学校が始まりました。


後期は文化祭からのスタートだったので授業も少なく、休みボケからの復帰も緩やかにできて良かったなぁという記憶があります。
ですが、文化祭を終えた頃からまた勉強に集中しなければいけなくなり息詰まるような感覚を感じ始めました。

期末テストの後(だったはず)で学力テストや英語の検定?(英検では無い)などが実施されることが多く、勉強を頑張らなければと思っていた私はこのテストがある度にビクビクしていました。

頑張りたかったのでできる限りやろうと思いましたが、やってもやっても頭に内容が全然入らず成果を出すことはできませんでした。

だんだん勉強を頑張ることへの意味や価値を感じることが出来なくなり、なんのために学校に通っているのだろうと考えてしまい。そこから学校を休むようになりました。

今思い返せば何となく無気力な感じが続いていたのは夏のあの時の経験が癒えていなかったからだと思います。

私は高校の時、皆勤賞を狙っていたのでそれまで1日も休んだことがありませんでした。初めて休んだ日に母に言った言葉は今でも覚えています。「もう頑張れない。」と一言言いました。

何度かもう一度学校に行こうと思いましたが行けませんでした。行こうとすると辛い気持ちになって体が重い感じがしました。次第に朝になると胃が痛くなったり頭が痛くなるようになりました。


学校に行っていた頃から夜の時間は憂鬱でした。全ての動作が学校に行くためにある気がして嫌になっていました。学校があるから、学校に行くために、明日の準備をしたり復習をしたり夜ご飯を早く食べてお風呂に入って、早く寝るようにしないとというのが全てが辛くなっていました。

不登校になってからは「明日、学校に行く」という掟が消えたので勉強する、ご飯を食べたりお風呂に入るというルーティンが私の生活の中からひとつずつ消えていきました。「何もしたくない」という気持ちだったのでそれに従うままに生きていました。自分の好きなようにできて嬉しいという気持ちもありながら、何もしていないという自分に対して焦りや嫌悪感を持つこともありました。

私が学校に行かなくなり始めたのは1月頃で徐々に日本でもコロナウイルスが流行り始め、周りの人も学校に行ってないという状況が出来上がり、その点では辛い気持ちを感じることは少なかったです。

世の中の動きも止まり、自分も止まっている状況で自分を否定されていない感じがしました。多分、私はこのままでも大丈夫と思える気がしました。

でも、実際は全然大丈夫ではありませんでした。1人部屋に引きこもり続ける中で次第に生きることについて考えるようになった私はなんにもしない自分のことを嫌いになっていきました。そこから何度も消えてしまいたいと考えるようになりました。

恐らく鬱になっていたのかもしれません。ここから私の暗い時間が始まりました。



とても長くなりました、今回はここまでにしようと思います。
(次回は不登校から脱却するまでを書けたらいいなと思います。。。)

拙い文章ですがここまで読んでくださった方、ありがとうございます。
季節の変わり目で体調を崩しやすいので皆様、くれぐれもお気をつけてお過ごしください🍀

では、またね🌱

夢見すぎ?

今週のお題「夢」


お久しぶりです、しめすです。
前回から更新が2週間以上も経ってしまいましたが、こうしてまた戻ってくることが出来て良かったです。

書きたいことは山のようにありますが、どれもが上手くまとまらないことばかりなので今週のお題をお借りして今回は書くことにします。





わたしは夢を見やすいのですが、皆さんはよく夢を見ますか?
夢を見るのは浅い眠りの時だとどこかで聞いたことがあります。
わたしは本当によく夢を見るのでいつも相当浅い眠りしかとれていないということになりますね。。。

しかし、深い眠りばかりでも良くないと聞いたこともあります。浅い眠りと深い眠りが一定の間隔でリズム良く繰り返すのが良い睡眠だと聞いた気がします(?)


そういえば、姉が夢分析の本を持っていて占いやスピリチュアルにすごく関心があった小学生くらいの頃、夢を見たらその本で夢にどういった意味があるのか調べていました。

今はネットでも検索すると出てくるので本当に便利ですね。(今も夢を見た時は時々検索しています!)

たまに興味深い内容もあるのでみなさんも夢を見た時、夢の『意味』を調べてみてはいかがでしょう?





少し疲れてしまっているので今回はこの辺りで終わりにします。

もう10月になりましたね💦
今年も残すところ2ヶ月と半月くらいですね。

そして、今月はハロウィンがありますね🎃✨
わたしはお菓子を沢山食べたいと思います。
今年も最後まであまり無理せず、自分らしく生活していきたいです。






それでは、またね🌱

少しでも心の向く方へ

お久しぶりです、しめすです。



最近、忙しくなってきてしまい中々、文を書けずにいました。今後もさらに忙しくなりそうなので、たとえ間がいてしまってもこうしてまた戻ってくることができるよう頑張りたいと言う気持ちがあることを先に述べておきます、、、





今回のタイトルは『少しでも心の向く方へ』です。


わたしが今人生の進む(べき)道に迷っているのでこのタイトルをつけました。。。



わたしは優柔不断で今まで何かと人の言う通りにしてきた部分があります。しかし、どうしても自分の人生に深く関わってくる部分についてはよく考えて決定を下さなければなりません。


わたしはまだまだ未熟な人間であるので、先々のことをよく考えて決めてもそれが本当に善く、正しい結果であるかはわかりません。

正確に言えば、決定を下したあとの自分の行動にかかっているといえるかもしれませんね、、、



難しいことが多くなると考えるのをやめたくもなります。しかし、逃げることが結果的によくないことは理解が出来ます。



でも、後悔するような決断はしたくない。



そんな時にわたしが一応大切にしてきているのが、その事に心が向いているかです。

ほんの少しでいいんです。


楽しそうだな。とか

ちょっと、興味あるかも、、とか、

こっちの方がマシかな、とか、

頑張れそうかも、とか、

こんなので良いとわたしはおもっています。



変に見栄張ったり、嫌で興味も無いものを選ぶと失敗しやすいのでせめて自分の気持ちにだけは嘘をつかないように心がけているのです。



これも、あくまでわたしの考えです。

たくさんの人が世の中にいますから、もっと良い解決方法があるかもしれません。


決定を下す前には多くの人に相談し、よく比較し熟考することも欠かせませんね。



わたしも後悔しないようにそして、楽しさも考慮しながら決断を下せるようにしていきたいです。


急ぎで書きましたので拙い文章でしたがここまで読んでくださった方、ありがとうございます。






では、またね🌱

先回り行動の化身

どうも、しめすです。



1つ目の記事で述べていたような面白いことがかけておらず、勝手に焦りを感じています。


いつも生活している中では面白いことを思いつくのですが、状況等相まって思いついているのかもしれません。
記事に書くことが難しいことを学びました。



あと、最近自分についてわかったことがありまして。
わたし、どうやらせっかちな性格のようです。

すごいせっかちな訳ではないと思うのですが基本、いつもせかせかと動いております。

あまりによく動いているのできょうだいからチョロリとあだ名をつけられたこともあります。(その時はチョロチョロと動いていたようです。)


じっとしているのが嫌いな訳では無いのですが、、、特に誰かといる時は落ち着いていることがあまりできないです。



自分の気にしいな性格がこうさせているのだと思います。

一緒にいる相手にとっては嫌に感じることがあるかもしれませんね。
わたしもそれが分かっているので、気にされない程度に行動してるのですが結論どのように見えているのか・思われているのかは分かりません( ˘•ω•˘ )



特にご飯を食べる前後で忙しなく動いております。
わたしの準備が悪いのもあるのですが、
(小皿足りてるかな。)
(醤油とか調味料かけるもの欲しいかな。)
(飲み物足りてるかな。)
と、頭の中で考えて行動しています。



正直、自分がいいようにしてる気もします。

自分自身が気分よくご飯を食べるため、その行動が集中してできるようにするために行動をしているのかもしれないです。



まぁ、いいや。という線引きが中々できないのです。



ご飯を食べることにも妥協はできないのです、完璧なごはん時間にするべくせかせかと動いているのだと思います。

なので、ご飯食べるまでに時間がめちゃくちゃかかります。



はっきりいって効率が良くないという話です。



動いた分は疲れますからね。。



異様なところで発揮される異常な程の完璧主義の持ち主なのかもしれませんね。


あと、適度な会話は大切ですね。
コミュニケーションは積極的に取りましょう、、、!
( -᷄ω-᷅ )




では、またね🌱

耐えて耐えて、我慢することを忍耐力といえるのか(+ウソみたいな本当の話)

https://music.youtube.com/watch?v=l2nqfPAMrSo&si=pplB_L-Ce9NVs9kK

Official髭男dismさんの Chessboard 】

(今回の記事とあまり繋がるところは無いかもしれませんが良い曲なのでよければ、こちらの曲を聴きながら読んでみてください♪)

 

 

 

 

今回のテーマは

自身のトラウマ体験を振り返る。

 

 

 

お久しぶりです、しめすです。
今回はちょっと嫌なのですが、自分のトラウマエピソードと最後に少し忍耐力について書こうと思います。

なぜこのことについて書こうと思ったのかと言うと、自分の忍耐力に自信がないからです。
(あと、単純に皆さんにわたしの話を聞いて欲しいからです、、、🥲)

 

 

わたしの家族は一人を除いて、自分を含むその他全員が楽器経験者です。
家族で1番下のわたしは小学校に入学し、部活が出来るようになると皆同じように吹奏楽部に所属するきょうだいを見て、「自分も楽器をやるのだろう。」と思いました。

 

小学生の頃、音楽に対する興味はあまりなかったと思います。聞くのは好きでしたが自分が演奏する姿は想像できなかったのです。

 

「友達が一緒に吹部入ろって誘ってくれたしな、、、まぁ、つまんなくないしやってみるか。」

 

みたいなと中途半端な気持ちで最初はやっていました。

長くなるので割愛しますが、なんだかんだ結局は高校1年の夏前まで吹奏楽を続けてきました。
中学卒業時には音楽への関心が非常に高まっていて、この先もできる限りずっと続けようと考えていました。

 

 

でも、続けることができませんでした。

 

 

高校生になって初めての夏を前に自身の吹奏楽史に自ら幕を閉じたのです。

 

理由は、どうしても顧問のやり方や方針が自分とは合わなかったからです。

わたしは音楽がとても好きになったので、愛していたのですぐには辞めることができませんでした。
そして、打楽器パートに所属していたので、吹奏楽部を辞めるということが楽器に触れる機会がほぼ無くなることを意味するとわかっていました。
(打楽器は小さな物もありますが基本、サイズも音も大きいので家には中々置けない・気軽に演奏しづらい、そもそも買う程の財力がありません。。。)

 

わたしは部員全員で演奏できる合奏の時間が本当に大好きでした。
ドラムや鍵盤打楽器、一人でやってもかっこいい打楽器は沢山あります。どんな楽器も魅力に溢れていて個性があって素晴らしいです。
でも、わたしはそんな個性溢れる打楽器とひとつで色んな音を響かせられる素敵な管楽器が組み合わさる合奏が1番好きなのです。

しかし、高校の部活では合奏が苦痛でたまりませんでした。合奏をするくらいなら個人練、パート練の方がマシとも思っていました。

 

合奏時、いつもなぜか暗い雰囲気なのです。(わたしだけがそう感じていたのかもしれませんが。)さっきまで楽しそうに練習していたのに。。。
そしてある合奏時の顧問の発言を境にわたしはもう吹奏楽を続けられないかもと予感しました。

あの時の言動はありえないものであり、わたしは相当ショックを受けました。

 

とうとう耐えきれなくなったわたしは退部を決意します。

顧問に話す前にパートリーダーに相談をしました。
辞める理由と自分の思いをしっかり伝えました。

 

夏休み前。試験1週間前のため朝部活がない中、わたしのために朝のホームルーム前に時間を作ってくれた先輩と教室で話しました。

 

パートリーダーである先輩は何度もわたしを引き留めようとしてくれました。
でもわたしの気持ちは変わらなかったので、それを悟った先輩はもう引き留めようとしませんでした。

 

他に誰もいない2人だけの教室できっとお互い違う思いで泣いていました。

 

「もう思い残すことは無い。ここでキッパリ辞めるんだ。」
決意をさらに固めたわたしは顧問と直接話しをするため放課後、職員室へ向かいました。

 

幸いに、退部をすることは出来ました。

 

しかし、それと引き換えにわたしは心に大きな傷を負いました。

先述した通り、わたしは夏を前に退部しています。
吹奏楽と夏。 経験者やわかる方にはわかると思います。
夏は一大イベントである吹奏楽コンクールがあるのです。

それに参加しないことがとても不満だった顧問はわたしにこう言ったのです。

 

 

「お前は人間じゃない。」

 

 

え?と思いました。
いつものわたしだったら

「じゃあ、逆になんだよ?(💢'ω')」

と喧嘩腰になってますが、今までのこと、密室で顧問と2人きりの状況等色々メンタルやられていたのでこの言葉を真に受けてしまいました。
俗に言う(?)クリティカルヒットです。

今まで部活命でやってきた自分はついに、なんの取り柄も無くなった気がしたのです。
コンクール前に辞めるなんて酷いやつだ。と、自分も思う節があったのでその場では否定できなかったのです。

 

あの言葉の後、何を言われたかよく思い出すことが出来ません。

 

前日に複雑な思いで書いた退部届は受け取って貰えず、一応 世話になったので「今までありがとうございました。」と丁寧に感謝したらそんなのはいらねぇ。(なんと言っていたか思い出せない)みたいな感じで突き放されました。

 

地獄のような密室にいる目的が無くなったわたしは逃げるように教室を出て、泣きながら昇降口へ向かいました。
途中、部員にその様子を見られた気がします。でも、そんなことはもうどうでもいいのです。

涙でぐしゃぐしゃになりながら帰ったあの日をまだ鮮明に覚えています。

 

なんでもないフリをしたけれどやっぱりダメだったわたしはその後、順当に不登校になりました。

 

 

この経験から、わたしはあまり夏が好きではないかもしれません。
夏になるとなんだか夏バテとは違うような、体力が無くなるというか奪われるような感じになります。

さらに、あの時から何かをしようとしても気力があまり湧かないし、何より続かないのです。

自分は基本アウトドア派で興味を持ったらとことんやってみるタイプですし、そういう時は失敗も恐れず行動するタイプです。

でも、そんな特徴を霞ませる程のショックだったのかそういったことがあまり出来なくなりました。
元々熱しやすく冷めやすいのですがあの時からは冷めるスピードが異常に早くなりました。急速冷凍レベルです。
さらに、周りには怠けているようにしか見えないのが辛いのです。

見えない内側ではたくさんのことを考え葛藤しているのです。
人間は脆いのだと本当に実感しました。「こんなにできなくなってしまうとは、、、」と

メンタルやられるのはものによりますが普通に病気になるのと同じくらい大変だと感じます。着実に蝕まれるというか、そして治ることがすぐ見込めるとも限らないですし。

耐えて、我慢するのも時に必要ですけど、その先にあるものに自分が価値を見いだせているかなど自分のことを顧みる余裕を残しておくことが重要なことと思います。

 

しかし、上手くいかない状況の中で大概、イベントが起こるのかもしれませんが、、、
本当は大切にされるべき当たり前のことが綺麗事や空論として扱われるようになるのでしょうか?

 

ここまで読んでくださった方、いらっしゃいますか?
つまらない愚痴のような話を見届けて下さって本当にありがとうございます。

人生って大変なことが多いですけど、ともかくわたしは頑張って生きております。

 

 

とても長くなりましたがもうここで終わりにしますね。
この文を読んでくださったみなさん、どうぞご自愛ください。


では、またね🌱

恐怖症?ただの苦手?

お題「わたしは○○恐怖症」

 

はじめまして、自分はしめすといいます

今回はお題をお借りして自分の恐怖症について

書いてみます

 

 

 

 

恐怖症と言えるかどうか、苦手なもの?そういうものがわたしにはいくつかあります。

今回は2つ挙げます。

 

1つ目は真実の口恐怖症です(?)

2つ目はブツブツとか同じものが集まっている

もの。集合体恐怖症ですかね、

以下になぜ怖いのか詳しく書きます、、

 

 

 

まず、真実の口

もう本当に思い出しただけでも怖いです。

想像したくもありませんが、、、

なんでこんなことになってしまったのか、その原因は自分の兄にあります。忘れもしません。

 

ある時買い物に家族で出かけてたら、どこかは忘れましたが真実の口があったのです。(?)

もちろん、本物ではなくて真実の口のくちの中に手を入れて占いができる?やつでした

お金入れないと占いはできないのですが

その真実の口はなんかいっつも音が鳴ってるのです。音というか声です、、邪悪な感じの。

ウハハハハ、、、、、って

もう、めちゃくちゃに怖いです。

 

そこで、ありがちなやつですが手がなくなっちゃうやつを兄がやったんです。

袖に手を隠して、

「手がなくなっちゃった。」 って

 

当時、とても幼かった私は本当に手が切れたのかと思って

「うわぁ!大変だ!早くお母さんを呼ばないと」

と、恐怖と不安に押しつぶされそうになりながら母に助けを求めた気がします。

 

後から嘘だったのはわかりましたが、わたしにはとても衝撃が強く今も真実の口を見ると先述の声も相まって怖いっ!!となってしまいます。 これが1つ目の恐怖症。

 

 

 

 

2つ目は集合体恐怖症について

これは、恐怖症と聞いて直ぐに思い浮かびそうな種類のうちの一つだと思います。

よくある蓮の葉や蜂の巣、チーズの穴とか有名ですよね。

 

でも、自分はそういうへこんでるのじゃなくて

もり上がってるできものみたいなのが

ダメなんです。

その原因は自分が蕁麻疹とか肌荒れしやすい

からかもしれないです

わたしは蕁麻疹ができる時にあんまり一つ一つは広がらずに、ポツポツと独立してたくさんできるのタイプ?なのですが。

肌があまり日焼けしてないので腫れて赤く

なると余計目立つんです。

それを思い出してしまいます

 

今も肌は弱いですが、以前の方が弱かった気がします。

小さい頃、風邪引いて蕁麻疹も出てしまった時は辛すぎて精神が崩壊するかと思いました。

水疱瘡とかもヤバいです、、、

思い出しただけでなんだかゾワゾワしてきます

 

 

あと規則正しい感じでプツプツしてるのも苦手で、虫のたまごとかもう耐えられないです。

同じ人いますかね、、、

これが2つ目の恐怖症です。

 

 

 

こんな感じで、まだあるのですが長くなるのでここまでにします

みなさんも真実の口の占い見つけたらよく見て、聞いてみてください。

ウハハハハ、、、って言ってくれます(多分)

 

虫のたまご気になった人はカメムシのたまご

でも検索してみてください。

見て、なんかキモってなる人はわたしと同じ

感性の持ち主ですね!

 

 

 

 

 

 

最後まで見てくださってありがとうございます

これは記念すべき2つ目の記事です✨

 

次は何を書きましょうか、、、

 

 

では、またね🌱

書く理由なんて、

今週のお題

わたしがブログを書く理由

.

.

.

.

.

はじめまして、自分はしめすといいます。

ブログを書くのは人生で初めてですが

今週のお題を元に何とか書いてみようと

思います

 

 

 

さっそくですが、理由を単刀直入に言うと

自分の意見を誰かに聞いて欲しいから

だと思います。

誰かに聞いてもらうなら自分の家族でも

いいかもしれないです。ペットでも、

あるいは人形でも。。

聞いてもらいたいという気持ちは

十分に満たされそうです。

 

 

 

でも、書くんです。ブログに

しかも色んな人が見るかもしれない。

自分が消さなかったら自分がここに残した

言葉はきっといつまでも残ります。

もしかしたら消してもネットなら

デジタルタトゥーというやつで

ずっと残るかもしれませんね?

 

 

 

リスク(?)を背負ってもブログに書く理由が

自分にはきっとあるのでしょう。

だから、こうして文を書くという行動を

起こしているのだと思います。

書いて満足している気持ちもあれば、

書いても反応がないと満足しない気持ちも

あります。

自分というのはめんどくさい人間だなと時々、?いつも?思います。

 

 

 

わたしは人の前で話すことにそんなに抵抗は無いですが、別に好きなわけでも得意な訳でもありません。でも、言葉にして相手に伝えるということは好きなのかもしれないです。

 

わたしは本当によく喋る時があります。

自分で喋っていながら

自分 喋りすぎでは、、、?

と思うこともあります。

 

 

 

幸いにして、喋りすぎによって

「あんた、よく喋るね〜!」とか

「もういいから、黙って。」とか、

「うるさい。」とか、

そういったことは言われたことない。(はず、)

 

 

 

そして、この時わたしを勘違いさせるのが

話を聞いている相手の表情です。

相手はというと、

微笑んでいるのです

(わたしにはキラキラした目で次の展開はよ聞かせてくれよ!って感じに見えてます)

つまんない話タラタラしてるかもしれないのに笑っているくれているのです。

 

 

 

 

 

 

「もしかして自分っておもろいのかな、?」

 

 

 

 

 

勘違いも甚だしいです。地獄の始まりです。

ちょっと相手が笑ってくれてるからって、、

 

でも、そう思いました。

そんな風に思い始めた頃からはもう時間が

経っていますが、この勘違いの呪いは

今も私にかかっています。。

 

 

自分はおもしろい人間なのか?はたまた

ただの勘違い迷惑人間なのか?

それを確かめるため?

ブログを書く価値が今の自分には

あると思っています。

 

 

 

 

 

それがわたしのブログを書く理由?というやつかもしれないです。

 

自分、継続が苦手なのでこれが最初で最後

にならないように気をつけます!

 

またね🌱